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インド経済の現在までの概観

 1947年にイギリスより独立を果たしたインドは、ソ連を中心とする東側諸国の共産主義とアメリカを中心とする西側諸国の資本主義のどちらにも属さない、第三世界の中心的な存在として立国する。インドがそれまでのイギリスを宗主国として垂直貿易を展開していたが、国際関係のなかで貿易に頼っては安定的な経済を発展できないとの考えにより、初代首相ネルーは海外からの供給に頼らず経済を律する政策を採る。そこで経済発展のため、若しくは最低生活水準に必要不可欠なものだけを輸入し、貿易に頼らない鎖国的経済発展路線を歩んでいった。

 

 では国の内部の経済政策はというと、独立からつい最近までインドは社会主義的な経済統制で工業化を図っていた。この点でお隣の大国中国とよく比較されるのだが、中国との大きな違いはインドが民主主義国家であることだ。1940年代から民主主義制度を採用している一方、社会主義政策を進めるという、ユニークな政治経済体制を採っていた。どの地域においても国民全体に経済成長の恩恵が配分されるように、政府が計画的に経済を先導していったが、その政策の一環として1951 年の産業(開発・規制)法により産業ライセンス制度が開始された。この制度により、事業を施行する際には、政治家や官僚から逐一許可を取得することが義務付けられるようになるが、これがライセンス・ラジ(License-Permit Raj: 許可による統制)と呼ばれ、民間企業のインセンティブを阻害する結果となる。さらに官僚や政治家が過大な権限を手にしたことで、賄賂やロビー活動が跋扈するようになった。

 

 1951年第一次5カ年計画から緩やかに伸びていた経済成長率は、1960年の中盤で20世紀例に見ない規模の旱魃に見舞われるとともに、1965年には対パキスタン戦争が勃発し、経済的に大きなダメージを受ける。さらに、続く1970年代においても、再び1971年にパキスタンとの戦争や旱魃被害によりGDPは鈍化する。65年から70年代までは農業セクターが国の経済に大きく影響を与える産業構造であったため、天候や政治の不安定性により年平均3%の低成長に留まった。  

 経済成長率が上向きになったのが1980年代である。緑の革命での成果が出始めたことで農業分野が好調だったのと、社会主義型経済の見直しによるものが大きい。60年代に権威主義的に開発経済の色を強化していったインディラ・ガンディー首相は、東アジア諸国NIESが経済を発展を尻目に自国の鈍重な工業化を憂慮し、80年に首相に返り咲くと自らが規制していった方針を次々に緩和させていく。資本財・中間財の輸入制限が緩和され、自動車や電子機器産業の規制撤廃され、82年にはスズキが政府との合弁で自動車産業への参入が成立する。これらが功を奏し、年平均約5%の成長を記録した。また、この頃は比較的富が平等に分配されていた時代で、貧困レベルは都市と地方両方で下がっていく。しかし一方で財政および貿易赤字、海外債務が膨らんだ時期でもある。

 1985年には外貨準備高を切り崩し、短期商業債務を要請しなければならなくなる。加えて、90年から91年に湾岸戦争が勃発すると、石油価格の上昇でさらに貿易赤字が悪化するとともに、中東から出稼ぎ労働者の送金額の減少で経常収支が悪化する。インドは債務を回収させることができず、91年初頭にはわずか数週間分の輸入への支払いしか国庫に残されていない状態になり、国際収支危機に陥る。

 同年ナラシマ・ラオ政権が成立すると、後に首相になる財務相であったマンモハン・シンはこの危機を好機ととらえ経済改革に着手する。IMF世界銀行に融資を求め、その引き換えに91年から93年の間に経済変換パッケージを受け入れ、開放政策を次々と進めていった。財政支出削減や金融引き締め、ルピー引き下げなどのマクロ経済安定化と構造調整を組み合わせた。

 インドが計画経済を改めた91年というのは、奇しくも社会主義を牽引してきたソビエト連邦が崩壊した年でもある。これは東側諸国の、つまり政府が計画して経済を統制する社会主義が資本主義に敗北したことを意味していた。ソビエトの崩壊前にも、すでに中国では開放政策を実施しており、80年代は特に西側ではイギリスのマーガレット・サッチャーやアメリカのロナルド・レーガンが主導で新自由主義が進められていた。雇用や景気を安定させるためには政府の積極的介入という考えにより、ケインズ主義を支持していた国でも、新自由主義を説くミルトン・フリードマンなどの考えが勃興していた時期であり、そのなかでインドは経済の自由化と市場開放政策が成されていくこととなったのだ。

 2000年以降になると、海外や国内の投資が生産に直結し企業の内部留保や所得増により、国民の購買力が高まる。それと同時に、競争率によるサービスの向上やメディアの普及などを背景に、消費意欲が刺激され高成長の軌道に乗り始めた。高成長2000-2001年から2010-2011年にかけてGDPは7.6%成長した。中国や日本のように年間10%以上の経済成長が爆発的な経済成長を遂げるわけではないが、過去20年間で中国に続き第2位の経済成長率を誇るように、昨今の安定したGDPの伸長は著しい。2008年に発生した世界的不況時にも成長を果たすなど、今や世界経済を牽引するプレイヤーの役割を担っている。 

 最近では日印政府間レベルでの経済関係の親密さは増している。91年のインド経済自由化後も2003年までは年間40億ドル弱で推移していた日印貿易も、2003年以降は拡大傾向にある。2006年に日印共同プロジェクト「デリー・ムンバイ産業大動脈構想」や、2011年に日印経済連携協定EPA)が発効され、2015年インドの高速鉄道案件に日本の新幹線方式が採用された。中国の経済成長が停滞するとともに、次の大きな事業拡大にふさわしい国として貿易拡大が期待されている。